2012年7月25日

総括

総括

「魔物が棲む」と呼ばれる夏の大会。
第三回戦、優勝候補との決戦。結果は39ー61。
第4ピリオドの奇跡はおきなかった。

夏の大会は一日が長い。負ければ引退という覚悟の中、会場の熱気は頂点に達している。緊張の中思うように動けない生徒、集中力を保って確実にシュートを決める生徒、がむしゃらにプレーをする生徒、必死で声援を送る生徒・・・。またバスケコートが1つしかない島から船に乗って来た生徒、都会から引越し来た子、小さい頃からバスケをやってきた生徒・・・。本当に色んな生徒が集まる特別な日だ。

今更だが中学生は本当に正直だと思う。嫌われたくないがために周囲の反応を気にしたり、できれば戦いなどせずに仲良くなりたいと思っている時期なのかもしれない。会場で色んな生徒に声をかけてみた。すると元気よい子もいれば、ふてくされた子、びっくりする子、様々な反応が戻ってくる。
自分が受け持っているバスケ部も、人当たりの良い子、頭脳明晰の子も入れば、そうでない子、おどおどしている子、自信がない子、いろんなタイプの子がいる。でもやっぱりごくありふれた普通の中学生だ。

そんなごく当たり前の中学生が、「大人」になる瞬間がある。教員としてこれを見ることが一番の楽しみだ。昨日の試合、まさに第4ピリオド、チームが一丸となって戦って行く姿に勇敢さと男らしさを感じた。結果を優先していた自分が3年間の積み重ねと努力を重視した瞬間だった。本当に素晴らしい一瞬だった。

かれらがここまでやってきたことに長い道のりがあったことは言うまでもない。自分のためにも振り返ってみたいと思う。

1 県大会出場

この子らとの出会いは2年前にさかのぼる。夏休み明け、3年引退後の1年生だけの練習で彼らの指導に当たったのが最初だ。その時の印象は正直「なぜバスケットボール部を選んだのだろう」という子たちばかりだった。前年度の先輩をみての憧れなのだろうが、運動神経どころか言語の理解能力も乏しくただ練習に来ては下校時刻のチャイムがなるをまっているだけのまったくやる気のない子ばかりだった。
そんな彼らに転機が訪れる。先輩が新人戦予選で勝ち上がり見事県大会に出場することになったのだ。豊橋の体育館。1年にとっては遠征はただの遠足気分。会場の広さと白熱するプレーに釘付けになった一日だったのだろう。初戦敗退であったが、数日後職員室前には出場記念の写真パネルが貼られバスケ部の知名度が一気にあがった。「バスケ部が強くなった」周囲ではそんな声も聞こえてきた時期だった。
しかし残念なことに、この先輩達の県大会出場を機に彼らは大きく二つのグループに分かれることになった。先輩との関係を深め技術を高めようとする子が3分の1、今まで通りのただ練習にくる子が3分の2。当然練習をするにつれ技術に差がでてくる。
しだいに上手な子、下手の子をAチームBチームと分かれて練習を行うようになった。分かりきったことであったが練習に追いつけない子供の心はすぐに腐っていった。ほとんどが練習に来なくなったのである。

2 中だるみの時期(中学2年生)

学年が1つあがり、彼らは中学時代で最も気がぬける時期になった。しかしこの時期は3年が最後の夏を迎える重要な時期。自分をはじめ運動部に所属する先生方は後輩に目がいきどとかないのが現実である。このころは焦りからか3年部員の関係もこじれており、自分はその修復にあたっていたため2年のことなどほとんど考える暇などなかった。
3年の熱い練習を繰り広げる中、2年の練習はさぼりたい放題。目標を見いだすのが難しい中だるみの時期だ。やる気のある子までも流されて行く。そして人数やコート利用の関係からBチームはひたすらゴール下でシューティング。練習に来てもどうせメニューについていけない。できないからやらない。つまらない。だから行かない。という負のスパイラルが出来上がっていた。
さらに反抗期という厄介ものが加わり、口答えしたり言い訳や嘘まで上手になった。自分の中で「あきらめ」というものまで浮かんでいたのだろう。
ついに部活に行かず校外で悪さをして地域住民に注意されるという事態もおきてしまった。「バスケ部が悪くなった」そんなことも学校で言われるようになったのもこの時期だ。

3 弱小の新チーム誕生

先輩が迎える最後の夏の大会、2年生の一部はもはやバスケ部としての意識はほとんどなかったように思える。大会当日もまるで他の学校の生徒のように見ているだけ。チームではなく、ただのお客さんのような印象だった。完全に根が腐るとはこのことを言うのであろう。今思えばここに気付いていなかったのは指導者として最大の反省点である。
先輩が引退。夏休み中に新チームがスタートした。最初はやる気のある子が引っ張って行くと信じて指導を行っていたが限界がすぐに来た。
初めての地方大会にAチームのみで出場。あっけなく初戦で敗退。前年度県大会にいったのは何だったのか。学校では「バスケ部は弱くなった」と言われるようになり、他校との対戦カードも激減した。
ある時、一緒に指導する先生に「全く新しいバスケ部をつくりましょう」と伝えた。幸いなことその先生も同じことを考えてくれていた。この地方大会の負けを機にチームの立て直しをはかるようになった。
AチームやBチームの隔たりは一切なくし、練習も基礎から丁寧に全員にできるまで教えるように時間を費やすようにした。技術に徹してた前年の考えを廃し、掃除や挨拶の徹底、荷物の整理整頓、学校生活でも頑張りを発揮できるように声をかけたりバスケットボール以外の指導もするように心がけた。
「心」とは不思議なもの。周囲に認められたり、自分で見つけたりすることで生き生きとする。中学生はまさに人に影響される時期だ。ここで自分が信じたのは「集団の力」である。一年生の頃認められていた「バスケ部は強くなった」イメージを取り戻すことを目標にしたのである。

4 秘密兵器の入部

目標は定めたものの、今までやって来たことを急に変えても子供が変わらないのが正直なところである。教育者がよく言う「後付けは無理」というのがよくわかった。さぼりグセのある子は何度言っても直らない。挨拶や片付けも先生の見ているときだけ。自立とはほど遠い現状が続いていた。
チーム同士の軋轢が続くなか彼らは3年生になった。この子らが変わる最大のチャンスを自分は見逃さなかった。幸いにも自分は3年で授業を教えることにもなった。部活面と生活面の両方を見ることができるようになったのである。
3年全員を呼び出しては、何度も何度も叱った。何度も何度も言い合った。そして何度も何度も悩んだ。そんなスタートだった。でもいつのまにか部活をサボることはなくなっていた。

ある日新しいメンバーが入部することになった。他の運動部からの転部でバスケ経験のある子だった。この時期の転部で想像できる人も多いだろう。俗にいう「やんちゃ」な子である。運動神経抜群の彼はやる気低迷のバスケ部の起爆剤になった。彼自身も運動部をダメになったことをバスケ部で克服しようと一生懸命になっていった。以外にも悪さは一回もせず練習もしっかり来てプレーを続けるようになった。持ち前の明るさと試合の勝負強さでチームを活性化させることになった。
昨年の反省もふまえ後輩の指導も行った。過去にあったヴォイスを探し出して精一杯声をだす練習。チームを分けることなく先輩との合同の練習。言葉使い、マナーの話。自分が知っていること精一杯話した。

「選ばれしもの」から「チーム全体で」という大きな変化をとげるようになった。指導するときは個別でなく全体に。自分自信も考え方が大きく変わった時期でもある。

そのよいイメージが伝わったのか、毎週土日は試合に呼ばれることが多くなり、大人数の遠征は各学校でも話題になった。他校の先生から「チームをわけないんですか?」と言われることもあったぐらいだ。
毎回の試合ではたとえ出場できなくても全員が参加するようになった。声援はどの会場にいっても一番大きな声だった。「仲間意識の芽生え」とはこのことを言うのかもしれない。タイムアウトの時に仲間に声をかける子も多くなった。先生に叱られた後にフォローする子も出てきた。
しだいに生徒との距離も近くなっていった。メニューも自分たちで考えて黙々とこなすようになった。文字通りバスケ部が「生まれ変わった」そう感じるようになった。

5 努力の先に

いよいよ決戦の日が近づく。一時間のフットワーク。ボールハンドリングからはじまって5対5まで。ファンダメンタルと応用の反復を繰り返した。とくに瞬発力や脚力を重視したメニューを構成した。単純明快「足で勝つバスケ」が一つのテーマだった。平日は4時から7時まで。土日は試合というバスケ漬けの生活。自分も大変な時期だった。

そして夏の大会が始まった。
1日目、初戦からあなどれないチーム。ミニバスあがりの子ばかりのチームでパス回しが速い苦手タイプのチームだ。前半流れがつかめず五分五分の展開。しかし後半、秘密兵器投入。こちらの勢いが増す。相手側がバテバテの中、速攻を繰り返して点差を広げて行く。結果61ー30。圧勝だった。自分も喜ぶ中、やってきた練習の成果がでたことに感動した。
2日目、2回戦同じくスピード重視のチームとの対戦。オールコートマンツーなら絶対負けない自信を持っていた。バスケは足の速さではなく、瞬発力と予測する反応の速さである。20点差がはなれメンバーを下げる。去年までふてくされていた子が一生懸命は走ってゴールを決めている。勝利後、満足感に満ちた顔と安堵の気持ち。新生バスケ部がやってきたことが間違っていなかったことを感じた。
試合後どの中学校よりも大きな声援が聞こえて来た。会場に挨拶する生徒を見て去年との違いをはっきりと感じた試合だった。61-40で勝利。思い出に残る試合だった。

そして3回戦。対優勝候補。もちまえの身体能力とNBAまがいのマッチアップゾーンとゆるいパス回しから攻めて来る。大会前から一番意識していたチームだ。

互いに荒れた試合となった。これは予測されたことだったので上手い先輩の先生が審判に入ってくれていた。5ファールにならないよう冷静さを伝える。
第1ピリオド、接戦の中逆転スリーポイントが決まり会場が沸く。事実上決勝戦のような盛り上がりで緊張感がましていた。
第2ピリオド、相手チームの主要ガード5番が5ファールで早くも退場する。一気に優勢と思ったがこれが誤算だった。でてきた13番がぴったりうちのセンターに張り付いて動きを封じてしまったのである。秘密兵器もファール3つ動きを止められ点差は10点差と広がって行った。
第3ピリオド、ゾーンにはゾーンで勝負。と2-2-1を3ポイントエリア内で構成。しかし時間だけがゆっくりと過ぎて行き点差は縮まらず。最後の最後で強気のシュートで6点差までつめよりハーフタイムに入る。
第4ピリオド、オールコートマンツーに作戦を変更。足で勝つバスケをやりきる指示を出した。ガードの子もバテバテの中くらいついたが、速攻をだされてすぐに決められる。持ち前のバスケセンスがやはり上回っていたことが分かった。さらに後半に2-2-1をパス回しから攻略されて20点差。試合修了。

試合後、上手い言葉がかけれなかった。泣き崩れる生徒を前に「頑張った」「やってきたことは間違いじゃない」ということばを繰り返した。後輩が大きな声をだして先輩を励ます姿に自分の心も動かされた。

弱小からスタートしたチームだったが、ここまでよくやってきたと思う。バスケの技術も大事だったがもっと大切なことを教えてあげたかった。練習をまじめにやること。一つになろうと協力すること。下手でも努力すること。あきらめないこと。中学校生活、部活は技術と気持ち、両方大事なのだとつくづく思う。
人は一生懸命頑張ってことしか記憶に残らないもの。彼らが今まで頑張って来たことは絶対将来役に立つと信じている。

今年度の自分自身の反省点は数えきれない。
ただ一言で表すと自分のバスケ指導力がまだまだ低かったというところだ。生徒の理解度に応じて的確に指示をだすことができなかったこと。またよりよい戦術を作れなかったことに敗因があるのかもしれない。この子らを勝たすことができなかった悔しさは今でも残っている。

明日から、彼らも本格的に受験生になる。同じ3学年の先生としてこの子らを次のステージに送り出すことが次の自分の目標だ。

君らは三年間本当によく頑張った。あの日、放ったシュートをいつか思い出す日が来るだろう。自分を信じる時、仲間を信じる大切さを理解した時、人は真の「大人」になる。昨日その瞬間を確かに自分は見た。これからも強く、自分に厳しい人間を目指して引き続き頑張って欲しい。
感動をありがとう。そしてお疲れ様。